花山薫や愚地独歩のモデルになった人物は(グラップラー刃牙)

花山薫や愚地独歩のモデルになった人物は(グラップラー刃牙)

 

グラップラー刃牙を始めとしたバキシリーズには、魅力的なキャラが多数登場しています。

 

 

刃牙が少年だった時代のエピソードから長い間出続けているキャラに、空手家の「愚地独歩」と喧嘩師「花山薫」がいます。

 

 

板垣先生の著書「板垣恵介の激闘達人烈伝」によれば、彼らにはモデルがいるとのこと。

 

 

愚地独歩には複数モデルがいるとされ、主な人物として極真会館総裁・大山倍達と拳道会総師・中村日出夫の名前を挙げていました。

 

そして、花山薫のモデルは喧嘩師・花形敬とされています。

 

 

彼らは一体、どんな人物なのでしょうか?

 

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花山薫のモデルとなった人物・花形敬とは?

 

バキ(刃牙)シリーズに登場する花山薫のモデル・花形敬は、不動産売買や水商売の用心棒を行う安藤組の幹部であり、組長・安藤昇から最も厚い寵愛を受けていました。

 

 

安藤の舎弟になってからは渋谷で精力的に活動するようになり、渋谷で一番強い男という異名を持つようになりました。

 

 

花形の喧嘩のスタイルは、ステゴロ(素手の喧嘩)と言われています。

 

武器を一切持たずに喧嘩をすることが、彼のポリシーだったといわれています。

 

 

そのため、相手が銃や刃物を持っていても素手で喧嘩しました。

 

 

さらに、顔中にある傷とぴっちり撫で付けたような髪型が特徴的です。

 

縁なしの眼鏡と真っ白のスーツ、という恰好をしていることが多かったそうです。

 

 

身長も180pと、当時の日本人にしては大柄でがっしりとした筋肉質だったことから、なんとも近寄りがたい風貌であることが想像できます。

 

 

花形の有名な逸話の一つに、力道山とのエピソードがあります。

 

 

力道山が安藤組への挨拶を怠ったことから、花形敬が激怒し力道山に殴り込みをかけようとしましたが、力道山が店内に逃げ込んだという話です。

 

 

力道山のような強靱な肉体を持った有名なプロレスラーをひるませるぐらいですから、花形は相当な強さを持っていたと考えられます。

 

 

他にも、ある日拳銃で撃たれたが運ばれた病院をすぐに抜け出し、自分を撃った相手を探し出すために一晩中街を徘徊したという逸話も残されています。

 

 

一方でトラブルも絶えず、前科7犯・22回という逮捕歴を持っていました。

 

 

花形が亡くなったのは、昭和38年。

 

33歳の時でした。

 

 

料亭前の道で敵対する組の2人に刺され、命を落としました。

 

この時花形の母親は安藤組組員に対して、いかなる報復もしないよう懇願したといわれています。

 

 

数々の逸話や伝説を残したことから、この世を去った今でも花形敬の名を知っている人は多いです。

 

 

また、グラップラー刃牙などの漫画・小説・映画のモデルにもなり、伝説の喧嘩師として語りつがれています。

 

愚地独歩のモデルとなった人物・中村日出夫とは?

 

伝説の空手家に、極真会の大山倍達と双璧をなす存在の人物がいます。

 

 

拳道会総師であり、バキ(刃牙)シリーズに登場する愚地独歩のモデルの一人「中村日出夫」。

 

驚くべき伝説と神技により、知る人ぞ知る空手の達人の1人です。

 

 

拳道会は、徹底的に部位を鍛えることで知られています。

 

石のような固い砂袋に、正拳・裏拳・手刀・蹴りを毎日何千回と打ち込みます。

 

 

身体のてっぺんからつま先までを鍛えることで、垂木・土管・ブロック割りや、寸勁掌底瓦割りの神技を可能とするのです。

 

 

他の流派にはない凄まじい演武が、拳道会の大きな特徴です。

 

中村日出夫の垂木割りは、「切る」と表現するほどの恐るべき類稀な秘技です。

 

 

空手の打撃技で角材を折った場合、ギザギザに裂けるが普通なのですが…

 

中村日出夫が行うと、木目に対してほぼ垂直に切れます。

 

 

演武で使う垂木は幅約5cm、長さ60cmほどあります。

 

大きなハンマーで思い切り叩いても、跳ね返ってなかなか折れないものです。

 

 

土管を割ったり折ったりできるのも、中村日出夫の凄いところです。

 

 

彼は背広を着ていようがスリッパ履きでも、難なく切って見せます。

 

 

中村自身、時速1200キロのスピードが出れば音もなく切ることが可能と豪語していました。

 

実際に、スローモーションカメラでもインパクトの瞬間が撮れなかったというから驚きです。

 

 

中村日出夫は、大正2年6月16日に朝鮮半島の平壌で生まれました。

 

幼少期は、あまりの腕白ぶりに高成寺という山寺に預けられました。

 

 

そこで、武道家だった叔父から武術と借力の鍛錬法を伝授されます。

 

14歳で日本に渡って、京都の平安中学に入学します。

 

 

新聞配達のバイトをしている時、通りがかった寺の境内で稽古していた空手に興味を覚え、武道専門学校に入るのです。

 

そこから本格的に空手の道を歩み、山籠もり鍛錬などを行いながら心身両面共に鍛えていきます。

 

 

空手修行で培った集中力を活かして、京都大学法学部に合格した中村。

 

若干20歳にして、既に指導的立場になっていたのです。

 

 

中村日出夫が凄いのは空手だけでなく、柔道も4段の腕前で八光流柔術をも修得していたこと。

 

2013年に肺炎のために満99歳で永眠しますが、彼ほど豪快で凄腕を持つ空手家はいないでしょう。

 

愚地独歩のモデルとなった人物・大山倍達とは?

 

今、空手と言えばさまざまな流派がありますが…

 

その中でも、極真空手は最も有名で人気がある道場とのことです。

 

 

この極真空手を創設したのが、バキ(刃牙)シリーズに登場する愚地独歩のモデルの一人「大山倍達」です。

 

 

五十代の方たちなら、テレビアニメにもなった空手バカ一代というマンガを知っていると思います。

 

あのマンガは、大山倍達を主人公にしたものでした。

 

 

大山倍達は小さなころから拳法を学び、15歳のときに師について正式に空手を学びました。

 

そして、拓殖大学や早稲田大学に入学する事に。

 

 

身延山で修行をするといった、非常に破天荒な行動も話題になっています。

 

いわゆる「山籠もり」という言葉は、おそらくこの人物を象徴するものなのでしょう。

 

 

その後、戦後になって初めて開かれた全日本空手道選手権大会で見事優勝し、その名を広く知られるようになりました。

 

 

面白いエピソードとしては、猛牛と素手で対決するという画期的な戦い。

 

たった一撃で即死させたという事実が大変に話題になり、これが極真空手の象徴的な言葉となります。

 

 

極真空手の選手たちが、背中に「一撃」という漢字を記したTシャツを着ているのを良く見かけます。

 

 

52年にはアメリカへ渡り、アメリカの各地で空手を紹介して回ります。

 

 

そして、プロレスラーなどと真剣勝負を行ったりして、異種格闘技戦を繰り広げました。

 

それらの試合では全勝という見事な成績を残したことも、彼のすごいところでしょう。

 

 

日本における空手の手法として、フルコンタクトが主流になりつつあります。

 

これは直接打撃制というもので、寸止めのない攻撃を認める手法です。

 

 

それまでの空手は試合などでは寸止めで一本をとることが主で、直接打撃は許されていません。

 

 

とても危険ではあるのですが、それだけ実践で通用する空手ということです。

 

このフルコンタクトを提唱したのも、大山倍達でした。

 

 

大山倍達はその生涯のすべてを空手に捧げ、1994年に肺癌のため急逝。

 

享年70歳でした。

 

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