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サワムラーの元ネタ・エビワラーの由来(ポケモンGO)
現在配信中の「ポケモンGO」ほか、人気ゲーム「ポケットモンスター」シリーズに1作目(赤・緑)から登場している「かくとうタイプ」のポケモンが、「サワムラー」と「エビワラー」です。
サワムラー・エビワラーという名前が日本人の苗字っぽいことで、誰か由来になる人物がいるのでは?と思う人も多いのではないでしょうか。
また、サワムラーが持つわざが主に蹴り技、エビワラーが持つわざが主にパンチ技ということで…
格闘選手がモデルとなっていると考えられているのです。
実はそれは正解で、ある実在の人物が元ネタとされています。
この記事では、サワムラーとエビワラーそれぞれの元ネタになった実在の人物をご紹介しています。
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「ポケモンGO」をはじめとした人気ゲーム「ポケットモンスター」シリーズで遭遇するポケモンに、かくとうタイプの「サワムラー」と「エビワラー」がいます。
それぞれは実在している人物が由来となっています。
「サワムラー」は、沢村忠さんという元キックボクサー。
「エビワラー」は、海老原博幸さんという元プロボクサーがモデルとなっているのです。
沢村忠は1943年生まれの日本における元キックボクサーであり、真空飛び膝蹴りその他の技名でもって一世を風靡した選手として知られています。
キックボクシングという名称は日本でつけられた和製英語で、学生であった沢村が日本学生選手権で60戦無敗の成績で優勝したのをきっかけにプロモーターに勧誘されて始めたものです。
元々満州生まれで祖父から空手を習っていた経緯もあり、又、プロモーターがタイの国技ムエタイに興味を持っていたこともあり、異種格闘技戦を国内で試みることに意欲を見せ、色々とルールも作りあげ興業を行うことになりました。
その前に空手の名人ら3人がタイに乗り込んで試合を行った結果、2勝1敗という結果を残して帰国していました。
1966年に旗揚げ興業が行われ、これに沢村忠は出場して1戦目は勝利しましたが、2戦目でムエタイに4ラウンドでKO負けを喫しました。
その当時は一時タイに渡って修行を積んで帰り、その後は目を見張る試合ぶりを見せてくれることになりました。
最終成績は1976年までで241戦232勝(228KO)5敗4分けという結果を残しました。
実際には500戦以上の戦歴があるとも伝えられています。
早い段階で得意技でもって相手をKOするというところに特徴を持っていました。
現在も健在で、どもに空手を教えたり会社の役員という立場にもあります。
海老原博幸は東京都福生市出身、1940年生まれの日本の元プロボクサーです。
元世界フライ級王者で左利きボクサーとして知られ、当時は同じ階級の原田、青木とともにフライ級の三羽烏とも呼ばれていました。
10代のころはアルバイトでトンカツ屋に勤めたことがあり、ここの店主にボクシングの勘所を見出だされて練習を始めることになったようです。
この店主がジムの四天王と呼ばれた元ボクサーであり、後に当の海老原博幸を始め8人の世界チャンピオンを世に送り出すことになりました。
当時は数多くの強豪がひしめく中にあって、海老原博幸は国内歴代3位となる29連勝を達成したとされ、世界戦を除いた戦績は62戦61勝1敗とされ立派な成績を残しています。
独自のリズムと絶妙なタイミングで放たれる左ストレートパンチはカミソリパンチとして賞賛されていました。
その後も国内歴代2位となる33KOを記録し、試合において手を骨折しながらも何回も試合終了まで耐えることもあり、これらのことからもその精神力の強さが示されています。
引退後はジムのトレーナーやテレビの解説者等を務めましたが、過度のアルコールに浸り肝機能障害で1991年に51歳の若さで生涯を閉じています。
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ポケモン「サワムラー」と「エビワラー」の元ネタは?由来になった実在の人物を紹介!ポケモンGOにも登場
「ポケモンGO」をはじめとした人気ゲーム「ポケットモンスター」シリーズで遭遇するポケモンに、かくとうタイプの「サワムラー」と「エビワラー」がいます。
それぞれは実在している人物が由来となっています。
「サワムラー」は、沢村忠さんという元キックボクサー。
「エビワラー」は、海老原博幸さんという元プロボクサーがモデルとなっているのです。
ポケモン「サワムラー」の元ネタ・沢村忠とは?
沢村忠は1943年生まれの日本における元キックボクサーであり、真空飛び膝蹴りその他の技名でもって一世を風靡した選手として知られています。
キックボクシングという名称は日本でつけられた和製英語で、学生であった沢村が日本学生選手権で60戦無敗の成績で優勝したのをきっかけにプロモーターに勧誘されて始めたものです。
元々満州生まれで祖父から空手を習っていた経緯もあり、又、プロモーターがタイの国技ムエタイに興味を持っていたこともあり、異種格闘技戦を国内で試みることに意欲を見せ、色々とルールも作りあげ興業を行うことになりました。
その前に空手の名人ら3人がタイに乗り込んで試合を行った結果、2勝1敗という結果を残して帰国していました。
1966年に旗揚げ興業が行われ、これに沢村忠は出場して1戦目は勝利しましたが、2戦目でムエタイに4ラウンドでKO負けを喫しました。
その当時は一時タイに渡って修行を積んで帰り、その後は目を見張る試合ぶりを見せてくれることになりました。
最終成績は1976年までで241戦232勝(228KO)5敗4分けという結果を残しました。
実際には500戦以上の戦歴があるとも伝えられています。
早い段階で得意技でもって相手をKOするというところに特徴を持っていました。
現在も健在で、どもに空手を教えたり会社の役員という立場にもあります。
ポケモン「エビワラーの元ネタ・海老原博幸とは?
海老原博幸は東京都福生市出身、1940年生まれの日本の元プロボクサーです。
元世界フライ級王者で左利きボクサーとして知られ、当時は同じ階級の原田、青木とともにフライ級の三羽烏とも呼ばれていました。
10代のころはアルバイトでトンカツ屋に勤めたことがあり、ここの店主にボクシングの勘所を見出だされて練習を始めることになったようです。
この店主がジムの四天王と呼ばれた元ボクサーであり、後に当の海老原博幸を始め8人の世界チャンピオンを世に送り出すことになりました。
当時は数多くの強豪がひしめく中にあって、海老原博幸は国内歴代3位となる29連勝を達成したとされ、世界戦を除いた戦績は62戦61勝1敗とされ立派な成績を残しています。
独自のリズムと絶妙なタイミングで放たれる左ストレートパンチはカミソリパンチとして賞賛されていました。
その後も国内歴代2位となる33KOを記録し、試合において手を骨折しながらも何回も試合終了まで耐えることもあり、これらのことからもその精神力の強さが示されています。
引退後はジムのトレーナーやテレビの解説者等を務めましたが、過度のアルコールに浸り肝機能障害で1991年に51歳の若さで生涯を閉じています。
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