白い巨塔は実話?財前五郎・里見脩二・大学病院のモデルは実在するのか調査!

白い巨塔は実話?財前五郎・里見脩二・大学病院のモデルは実在するのか調査!

 

浪速大学医学部付属病院を舞台にした山崎豊子さんの小説が、「白い巨塔」です。

 

 

何度もドラマ化され、主人公・財前五郎の役を、田宮二郎さん・唐沢寿明さん・岡田准一さんなど様々な俳優が演じてきました。

 

 

専門職をテーマにしたドラマ作品の中には、事実を元にしたノンフィクションのものや…

 

事実を描いてはいないものの、実在する人物や場所がモデルになっているものもあります。

 

 

白い巨塔の場合は、果たしてどれに当たるのでしょうか?

 

 

今回は、以下の情報を掲載しています。

 

・白い巨塔は実話?財前五郎は実在するのか

 

・白い巨塔の舞台「浪速大学医学部付属病院」のモデルとなった病院は?

 

・里見脩二にモデルは存在するのか?

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白い巨塔は実話?「財前五郎」は実在するのか?

 

まず、白い巨塔は実話を元にした物語(ノンフィクション)ではありません。

 

さらに、主人公・財前五郎も実在する人物ではありません。

 

 

そして、白い巨塔の物語の舞台となる浪速大学医学部付属病院も、実在する病院ではありませんでした。

 

 

基本的にはフィクションである今作ですが…

 

モデルだと言われている、病院・人物の名前は挙げられていました。

 

 

まず、白い巨塔の主人公「財前五郎」のモデルとして挙げられている人物は…

 

決して1人の医者を参考にしたわけではなく、複数存在します。

 

 

外科医の中山恒明さん。

 

そして、外科医であり大学教授の神前五郎さんがモデルとされているようです。

 

 

加えて、白い巨塔の物語の舞台である浪速大学医学部付属病院のモデルとされているのが…

 

阪大病院(大阪大学医学部附属病院)と言われています。

 

外科医・中山恒明とは?

 

中山恒明さんは、日本のがん治療の草分け的存在です。

 

 

94歳でその人生を閉じるまで、がん治療、とりわけ食道がん手術の成績を格段に改善させたという業績は、世界的にも知られています。

 

 

中山恒明さんのお生まれは東京神田で、学生時代は新潟で学ばれました。

 

 

新潟高等学校を卒業する際、進路の道を悩んでいたという中山恒明さん。

 

同校の校長先生から彼の将来を決定づける言葉が与えられ、中山恒明さんを医学の道へと駆り立てたのです。

 

 

昭和22年には、なんと37歳もの若さで千葉大学第2外科の教授の職責を拝命することになります。

 

とはいえ教授のイスを安閑なものとせず、様々な外科手術の開発に努めてきました。

 

 

日本消化器外科学会・日本がん治療学会・食道疾患研究会などの設立に関わりました。

 

専門領域である食道がん治癒・手術に携わる中山恒明さんの熱意は、終生衰えることはありませんでした。

 

 

中山恒明さんの受賞歴を紹介しますと…

 

 

昭和39年には、世紀の外科医賞(国際外科学会)を受賞。

 

昭和41年には、西ドイツのベルツ賞。

 

昭和42年には、スイスの最高医学器械発明賞を受賞されています。

 

昭和57年には、勲一等瑞宝章を授与されたのです。

 

 

各章を受賞・授与されても、医療の発展そのものへの意欲は衰えることはありませんでした。

 

後進の育成にも並々ならぬ意欲を見せ、昭和40年には東京女子医科大学に消化器病センターを開設しています。

 

 

ほか、医療練士研修制度を創設。

 

「実地医療こそが医療の神髄である」との意識のもとに、卒後教育の重要性を強調していました。

 

 

消化器病センターを卒業した医療練士は、実に800名以上にも上ります。

 

我が国に医療儀技術の改善・向上のために尽力してきたと言っても良いでしょう。

 

 

残された言葉のひとつに「だれでもできる、安全で易しい手術」という言葉があります。

 

この言葉は、まさに手術の技術の平準化を示しているように思われます。

 

 

中山恒明さんの残された理念が、現代の医学界に脈々と流れていることを伺うことができるのです。

 

外科医・神前五郎とは?

 

神前五郎さんは1919年生まれの元大阪大学教授で、外科医学が専門です。

 

 

この人の名前が知られているのは、山崎豊子さん原作の小説「白い巨塔」の主人公・財前五郎がモデルではないかと言われていることからです。

 

 

しかし実際は、山崎豊子さんが主治医だった神前五郎さんの名前を借りただけで、直接的なモデルではないとのこと。

 

 

神前五郎さんを恩師と仰ぐ教え子の話によると、財前五郎とは異なり、学問を愛した人格者であったことが理解出来ます。

 

医局では筋道の通った説明がされないと注意されるため、緊張感のある雰囲気の中で仕事が進んでいきます。

 

 

1943年に、大阪帝国大学医学部医学科を卒業します。

 

1949年に血液凝固に関する研究で阪大医学博士を取得し、阪大助手となります。

 

 

和歌山県立医科大学助教授を経て、1954年に阪大講師・助教授となります。

 

 

1975年に阪大医学部第二外科教授、1984年には東京都立駒込病院の院長に就任します。

 

2015年に95歳で亡くなるまで、長い年月を医学の世界で様々な人達とともに貢献をしてきました。

 

 

神前五郎さんが亡くなる直前の94歳の頃、がんについての理論を明らかにしたことでもよく知られています。

 

これは、がんもどき理論で知られる慶應大学の近藤誠医師に対して、神前五郎さんが果たし状を送ったことです。

 

 

がん治療にかける神前さんの情熱や理論が、がん放置理論で知られる近藤医師に対して、理論の撤回を求めたものになりました。

 

二人の医師の白熱した論争は書籍として出版され、反響を呼びました。

 

 

94歳になっても医師としての理論をきちんと持ち、間違った考え方や根拠のない流行や風潮にはメスを入れる。

 

 

そういった外科医師らしさが、神前五郎さんにはあったと言われています。

 

 

お金や地位に目がくらんだ財前五郎とはおよそかけ離れた、似ても似つかないような正統派の外科医師であったことが理解出来ます。

 

浪速大学医学部付属病院のモデル・阪大病院(大阪大学医学部附属病院)とは?

 

阪大病院は、大阪大学医学部附属病院の通称です。

 

大阪府吹田市に位置する、1,076床を有する大学病院です。

 

 

大学病院は、医療の提供および医学教育としての機能を持つ病院です。

 

 

明治2年に大阪市上本町に文部省直轄仮病院として設置され、昭和24年に現名称へと変更されました。

 

さらにその2年後には、大阪大学歯学部附属病院の設置に伴い、診療科から歯科が分離されています。

 

 

現在の住所に移転したのは平成5年のことで、同時に微生物病研究所附属病院と統合されました。

 

 

また平成27年には、臨床研究等の中心的役割を担う国中核病院としての臨床研究中核病院に認定されています。

 

 

現在、阪大病院においては「良質な医療を提供すると共に、医療人の育成と医療の発展に貢献する」という基本理念のもと…

 

病院機能および医学部における教育が行われているのです。

 

 

阪大病院では、大学病院として高度救急医療・周産期医療・先進医療などの医療を担っています。

 

内科系・外科系・その他の各診療科を有しており、さらにはセカンドオピニオン外来や看護専門外来なども行っています。

 

 

さらに、地域がん診療拠点病院としての機能も担っています。

 

 

外来診療以外にも、医療・維持相談窓口・がん相談支援センター・退院支援・医療福祉相談・在宅療養相談・心のケアチーム等…

 

各種相談窓口が設置されているのです。

 

 

月曜〜金曜日には外来診療が行われており(土曜・日曜・祝日・年末年始は休診)、1日あたり2,500人余りの患者が外来を受診しています。

 

 

病院へのアクセスとしては…

 

JR茨木駅・阪急茨木駅からは、近鉄バスが。

 

北大阪急行千里中央駅からは、阪急バスが出ています。

 

また、大阪モノレールの阪大病院前駅も通っています。

 

 

このように、多方面からのアクセスが可能となっているのです。

 

そのため患者にとっては利便性が高く、比較的通院しやすい条件が整っています。

 

白い巨塔の「里見脩二」にモデルは存在するのか?

 

財前五郎とは正反対で、出世に興味がなかったライバル・里見脩二。

 

 

彼にモデルは存在するのか?というと…

 

名前は一切挙がっていない模様。

 

 

財前を告訴した遺族側に立って証言するなど…

 

主人公との対立関係を作るために作られた、全てが架空のライバルキャラクターであると予想できます。

 

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